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隣の三毛

亜希子、生活保護者になる(2)

それから1週間、彼女は我が家に居続けた。一度だけ夫から電話があった。彼女は来ていないと答えると、「たぶん福岡の兄弟の家へ行ったのだとおもう。通帳もカードも持ち出されて、生活費がなくて困っている」と言った。もし、彼女から連絡があったら、自分に知らせてほしいと。

 だが、それは全くの嘘だった。のっけから亜希子はお金など一銭も手にしたことが無かったのだ。お金の管理は結婚当初からすべて亜希子の夫がしていた。夕飯の買い出しに行くにも両掌を重ねて、「豆腐を買うので、お金をちょうだい」と、夫の前に差し出さなければならなっかtし、領収証とおつりがぴったり合っていなければ、どうしたのかと追及された。たとえ一円が合わなくてもである。

 子育てにおいても、それに掛かる費用はすべて夫の許可が必要だった。彼女はそれが結婚生活において当り前のことだとずっと疑わなかったのである。

 家出をする日の夜、些細な夫婦喧嘩の原因は孫のしつけだった。異常なほど愛情を注いでいた娘の一人息子をわがままだと亜希子がたしなめたのだ。保育園に通っていた孫の隆が、店の商品をあたりかまわずまき散らしたり、触ったりするので注意すると、隆は「くそばばあ、死ね!」などと泣き叫ぶのである。夫はそれを、亜希子のしつけが悪いと、ののしった。孫を粗末に扱うのは許せないから、たった今出ていけ、と言った。そこらあたりの家電製品を投げつけるわ、はさみはとんでくるわ、危険を感じた亜希子は無我夢中で飛び出したのだ。

 しかし、家出するにも所持金はなく、同居の娘からわずかなタクシー代2千円を恵んでもらったのだ。だから、遠くには行きたくても行けなかった。無一文で飛び出すなど無謀にも思えるが、彼女は切羽詰まってなにも考えられなかった。

 僕は、亜希子を連れて現在やっかいになっているという家出先の兄夫婦を訪ねた。初対面の彼らは僕の突然の訪問に驚くとともに、彼女からの真実を聞いてもっと仰天し、悲しんだ。まさか、亜希子夫婦がそれほど深刻な問題に陥っているとは信じられなかったのだ。それでも、一旦自宅に戻って、二人で話合うようにと懇願した。彼女は病気で、これからの人生を思うと、一旦鞘に収まったほうがいいように思うと。

 そして、もうこれ以上、兄夫婦のやっかいにはなれないという亜希子を連れて、僕は再び我が家へと向かった。

 その夜、彼女は久々にぐっすり眠った。自宅でも兄の家でも、心休まる日はなかったからである。