隣の三毛

ある日の午後だった。時子は配達から戻ったが、店は鍵が掛かっていて、留守番をしているはずの夫の姿が見えない。いったい、どこへ行ったのだろう、日中に何か出掛けなければならない特別の用事でもできたのだろうか?

老いた両親に緊急なことが起こったのかもしれない。彼女は夫の携帯電話の番号を呼び出した。呼び出し音はなんと、すぐ近くで聞こえたのだ。目をやると、それは応接室のテーブルの下の棚にあった。

携帯を忘れて出かけるほどだから、よほど慌てて出たのに違いない、と彼女は思った。そして、ガラ系の電話機を手に取り二つ折りの蓋を開いた。着信履歴を見る。名前はない。メールが入っていた。「うなぎとケーキ買ってきて」

差出人名は男性だったが、文章はあきらかに女だと、直感した。「え、うなぎ?」と彼女は思った。自分でもそんな高級品、買ってまで食べたことが無い。ましてや夫の携帯にメールで買い物を頼むなんて。店を閉めてまででかけるなんて、まさか、、、。

 それから、間もなく夫は涼しい顔をして、戻ってきた。時子がすでに外出から帰っていたのをみると、急にそわそわして落ち着かない様子で、戸締りして出かけた訳を、時子から聞かれる前に口火を切った。「携帯を無くしたんで、DoCoMoまで新しいものを買いに行ってたんだよ」「私が帰るまで待てんかったの、すぐに戻るって言ったやないですか」彼女が出掛けてから2時間も経っていなかた。彼曰く、「お客から電話が掛かったら困るやないか」

 時子は、探している夫の携帯電話が、テーブルの下にあって、見つけたとは言わなかった。いずれこの携帯のメールが証拠になるかもしれないと彼女は思った。そして、以来ずっとポーチにしまい込んで、仏壇の引き出しにいれておいた。

 あるとき、夫が配達にトラックで出かけた後、彼女は夫の軽自動車の中を念入りに調べた。ダッシュボードの中にそれはあった。夫が如何に単純で考えが無いかというより、時子をなめてかかっているという証拠だった。

中にあったのは何枚かのレシートで、それには、鰻2尾、ケーキ2個、ジュース2本など、あの携帯電話を無くして買い替えに行った、という日時が記載されていたのだ。

たぶん、100パーセント、あの日、頼まれた品物を買って、どこかで女と待ち合わせをして、二人でうなぎとケーキを食し、至福のひととき、あるいはまた濃厚な蜜月を過ごしたのであろう。時子は突然苦痛を味わった。まさかの夫の裏切りによって屈辱の日々が始まった。あの日、問いただせばよかった。新しい携帯を手に入れた夫は、すんなりと嘘が通ったと勘違いしたのか急に大胆な行動に出始めたのだ。

 彼女が用事で出かけるのを待って、あるいは夫自から配達にかこつけて、堂々と店を空けるようになった。