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隣の三毛

 ぽんたがその店の前を通りかかると、どこか懐かしい、何年も忘れ去っていた女のしわがれた声を聞いた。ふと立ち止まると、客らしき男と話し込んでいた女のほうがぽんたに気づいた。「あらぁ、元気だった?」と女はさもなれなれしく言った。

  懐かしい、とは思ったが、実はぽんたとしては、生涯2度と関わりたくない人物のひとりだ。しかし昔のことなどすっかり忘れているのか、彼女の目には、感動の涙さえいっぱい浮かべているのだった。

 彼女の名前は幸子といった。本名だったのか源氏名だったのか、今となってはどうでもよかったが、当時は美しく、誰からも好まれる優しい声で男どもを魅了していた。

 「やあ、こんにちは」と、ぽんたは挨拶した。愛想もくそもない、ありきたりのしわがれた声で。できればすぐに、この場を立ち去りたかった。「あたしね」と彼女は言った。「ずっと、あなたを探していたのよ」

 今更探してくれても、もうどうにもならないことだし、探してほしくもなかった。どれだけのことを彼女がしてきたのか、思い出すのも苦痛だった。それでも、どうしても自分の生きてきた、来し方を聞いてほしいと幸子はいった。むし暑い、湿度90%を超える6月の日曜日の午後だった。