隣の三毛

 その街の界隈で働けなくなった幸子は、博多へと住所を移した。天神の繁華街から中洲の歓楽街へ、より深みへと彼女は落ちて行った。しかし、彼女自身はけして転落とは思わなかった。17歳の年齢に不釣り合いなきらびやかな服装、厚化粧が似合う女へと変身を遂げた。その店は、黒アゲハとは比べ物にならないほどだった。ネオン街に吸い寄せられるように、夜の女たちはそれぞれの美を競い集まった。

 幸子もご多聞に漏れず、美貌と若さで勝負したので客はすぐについた。だが、心はいつも晴れなかった。

 捨てて出た故郷ともいえる炭鉱の古びた町、やせ細った祖母、泥まみれで働き詰めで死んでいった両親のことを思うと、やるせない気持ちになった。自分が我儘だと彼女はわかっていた。なのに、素直になれなかった。ごめんね、の一言が言えなかった。何のために働いているのか、この人生は本当に自分の選んだ道だったのか。だが、若干17歳の幸子には答えなど分かるはずもなかった。

 憂鬱な日々が続いた。稼ぐための営業用笑顔、言いたくもないおべんちゃら、男たちの卑猥な言葉やセクハラ、どれもが彼女にとって苦痛だった。

 

 「君、なんという名前?」と彼は聞いた。「えっ、源氏名が幸子?幸せな子って書くの」彼は重ねてたずねた。

「そう、幸せな子なの」、と彼女は微笑んだ。なんだかとても新鮮な気がした。宮崎県から消防団の仲間と共に福岡に研修に来たというその男性は、先輩に連れられて初めて中洲に来たといった。さわやかなブルーのシャツ、白のズボン、日に焼けてはいたが、笑ったときの白い歯が印象的で、まるで、白馬の王子様だと幸子は思った。

 半年が過ぎたころ、その店に白馬の王子さまは再びやってきた。今度はたった一人で。しかし彼は、幸子に会えなかった。理由は知らない。幸子が故意に拒んだのか、本当にその日店に居なかったのか。

 連絡先を告げて、彼は帰っていった。一枚の名刺には大野孝之とあった。老舗の呉服屋の若主人なのか、専務という肩書が記されてあった。幸子はそれを大事に名刺入れに収めた。遠すぎる人、だと思った。場所も、境遇も、自分には縁がない男性なのだ。