3ヶ月が過ぎ、郊外ではコスモスが揺れる季節になっていた。幸子の生活は相変わらずだった。昼夜が逆転した生活、借金に追われ、酒に溺れ、男を騙す生活が続いていた。ある夜、大野孝之が突然目の前に現れた。連絡の来ない幸子にどうしてももう一度会っておきたかったのだと言う。「今日、会えなかったら諦めるつもりだった。今の生活を変える気はないか、できれば自分と一緒に来てほしい。けして不幸にはしないつもりだ」と。彼は自分との甘い生活について語った。およそ300年も続く老舗の呉服屋の一人息子であり、いずれは家業を継ぐが今は公務員であること、両親は健在で、結婚すれば別に新居を構えて、二人で暮らしたい。自分は32才で年齢は15才も違っているが、歳の差は問題ないこと。福岡に比べれば多少は田舎であるが、一応県庁所在地であり、繁華街であるなど。
幸子にとっては夢のような話である。だが、「少し考えさせてほしい」と彼女は言った。彼をとりまく環境はなんとなく把握できた。。けれども、毎晩遊びにやってくる店の男たちとどう違うのだろう。何人もの男たちが、幸子を見受けしたいと言っている。独身もいれば、れっきとした妻帯者もいる。恋愛に発展しそうな男もいるが、本当に遊びが目的の男もいる。大野孝之はそのどれに当てはまるのかもわからない。好きか嫌いかでいえば、たしかに自分の好みには違いない。店の女たちの中には騙されたものもいる。すっからかんになって、捨てられて、舞い戻ってきた先輩もいる。「本気で恋愛なんかしちゃだめよ」と諭されてもいた。「夜の女で成功するには、誰からもみくびられないことね。つまり、自分をけして安売りしないことよ。」
城下町の老舗の女将、しかも生涯身に付けることもないであろう超高級な呉服を纏った幸子を想像してみた。美貌の自分にはきっと似合うに違いない。優雅な暮らし。食べたこともないようなご馳走。乗ったこともないような高級車。海外旅行、チャペルでの真っ白なウェディングドレス、いや、呉服屋なので、金襴緞子の花嫁衣裳を纏うのかもしれない。17歳の幸子の想像は限りなく膨らんでいった。
その日以来、幸子は孝之の来店を心待ちにするようになった。ドライブにも出かけた。久住高原や阿蘇外輪山、見たこともないような景色や行ったこともない観光地に有頂天になったのは想像に難くない。
来春、18歳になったら、幸子は白馬の王子さまと共に宮崎へ行くことにした。兄も妹も反対した。それは幸子という金づるが居なくなるからという理由だけではなかった。まだ未成年の幸子がとうてい老舗の呉服屋の女将が務まるとは思えなかったからである。
そして、案の定、幸子にとっての白馬の王子さまは、とんでもない御曹司だったのである。彼は勘当同然の遊び人だった。どこの馬の骨かわからない女を連れ帰った孝之は実家でも猛反対を受けて、幸子は金襴緞子の花嫁衣裳どころか、まともな結婚式すら挙げてもらえなかった。
二人は逃げるようにして、その街の片隅の6畳一間の安アパートに落ち着いた。入籍はしたもののすぐにそれが失敗だと気が付いた。夫は幸子の幾ばくかの貯金が底をつくと、彼女の許へは戻らなくなった。
すぐに、女ができたのだと分かった。噂ではある料亭の一人娘と夜な夜な遊び呆けているというのだが、幸子には抗議する処も訴える場所もなかった。
幸子は妊娠していた。夫は家に寄りつかなかったので、働き口を探した。この街では夫の手前、夜の商売はできなかったので、スーパーのレジ係に応募したが、断られた。身重の彼女には無理だったのだ。
なけなしのお金で、幸子は路地裏の小さな店を借りて、焼き鳥屋を始めた。とにかく日銭を稼ぐしかなかった。スーパーの入り口で店頭販売をしている焼き鳥屋の兄さんにそのノウハウをタダで教えてもらった。初めは売れた分だけ仕入れをする。仕込みは昼間に準備し、夕方から夜中の2時過ぎまで、酔っ払いや飲み屋の姐さんたちを相手に、めいっぱい働きづめた。やがて美人の焼き鳥屋の評判はすぐに広まって、常連客がつくようになった。
子供が生まれても、彼女は背中に息子を背負って、汗まみれで働いた。夫はもちろん子供の面倒はみないばかりか、むしろ評判を聞いてか、金の無心にやってきた。相変わらず遊び呆けていたが、幸子は子供のために別れなかった。それに、愛情も確かに残っていたのだ。不思議なことだが、夫が心底から他の女を愛するとは思えなかったのだ。それは、根拠のない自信だったが、自分は夫から十分に愛される資格があると思えたのだ。
焼き鳥屋は繁盛した。子供が小学生になった時、幸子は、将来のためにもっと稼ぎのよい仕事を選んだ。
自分は中卒だったが、せめて一人息子の陽介には人並みに高等教育を受けさせたかった。そして、僅かな元手で再び彼女は水商売を始めた。今度はもっと町の中心地に近いビルの奥に、かすかな希望を抱いて、「キャンドル」を開店した。焼き鳥屋からの転職は成功だった。博多で腕を磨いた幸子はどこかあか抜けていて、会話も、客あしらいも上手かったのである。25歳の春だった。
そうして、孝之とは別れた。ある日子供のための教育費に手をつけたためでる。子供サッカークラブに所属していた陽介が夏のキャンプに行くためのお金だった。もう、なにもかもこれで終わりだと、幸子は思った。そして父親についていくかどうか、子供にたずねた。彼は首を横に振った。ひとりぼっちの夜を過ごすことが多かった陽介だったが、母親の懸命に働く姿を見ていたのだ。「僕はかあさんといる。」これ以上の幸せがどこにあるだろうか。幸子は陽介をつれて、安アパートを出た。
小さな町だったが、それ以来何年も夫とは会っていない。女と別れて、勘当を解かれた彼は、実家に戻り、呉服屋の後を継いだらしかった。
陽介は高校を卒業すると、東京へ行くといった。
つづく